選択的不登校を続ける親子。勉強なんて学校にいかなくても充分できる。

現在中学生の息子と私は「選択的不登校」をやっています(笑)学校に行けないのではなくて、行かない。「け」と「か」の違いは大きいのです!

さて、不登校をやっていると、学校の先生に「学校に行かないと将来困るんだよ」ということを言われます。私は、その言葉にとても違和感を覚えます。

なぜなら。

学校に行っても、将来困ったり困らなかったりするし。学校に行かなくても、将来困ったり困らなかったりするからです。

原因と結果の話ですが。

様々な可能性があるにもかかわらず、たった一つの可能性のみが全てとする、その話法に違和感なのです。

いい大学を出たって、困るときには困る。松下幸之助は学校行ってないけど「経営の神様」と言われているしね。そもそも、その「困る」って定義があやふやで。。。

現代は、そんなあやふやで不確定な定義や概念で片付く世の中ではないと思うのよ。もっと多種多様な価値観。様々な国の人たちが一緒になって世界を作る時代に。そんな、あやふやな定義や概念で、たった一つの答えに押し込める話法で、感性高い子どもたちが納得するわけないじゃんね(笑)

せめて。

「私は将来困ると考えているけれど、君はどう思う?」くらいのディスカッションの余地があれば楽しいのですがね。例えば、今でも思い出すと笑ってしまうエピソードがあります。息子が小学1年生の時に、なんと校長室で、校長先生と担任の先生の2人から、「星くん。学校に行かないと将来困るんだよ。だから困らないために学校には来ないといけないんだよ。」
(漢字一覧表を見せながら)

「星くん。小学校では、これだけの漢字を勉強するんだけれど、これを勉強しないと、ほら、中学校では、もっとこんなにやらないといけないんだよ。だから中学校でも困るのは君なんだよ。」

そこで、まだ小学1年だった息子は大人2人に脅されて(?)青ざめながらも「先生、僕、月までの距離なら知っています!」と、その距離を言いました。すると。

「星くん!すごいね。それは小学校4年生で習うことだよ。」と校長先生。

「星くん!校長先生に褒められてすごいね。」と担任。

私は心の中で「何年生に習うとかじゃなくて、興味があるときに学んだのが、たまたま今だっただけ。褒めるポイントそこかーい。」とか「なんで校長に褒められるのがすごいの?別に隣のおばちゃんに褒められたって校長に褒めらてたって、嬉しさは同じだし、校長に褒められることが特別とは思わないよ。」などと感じたけれど、伝わりそうにもなかったので黙っていました。

ちなみに私が、その時に息子に感心したのは、大人2人からの言葉の後に、自己主張ができたという部分でした。すごーい♪

価値観はいろいろある。そして、どの価値観もお互いに尊重し合えるという社会を目指しているけれど、学校は手強いので、早々にリタイア。それも学校の価値観を私は尊重しているからこそなのです。

こちらの事は「問題親」として否定されるけれどね(笑)別にいいけれど。

学校は、その価値観が合う人は行けばいいと思っているので、否定はしていないのです。学校が大好きな子どももいるし。いいと思っています。

それにしても、大真面目に褒めてくれた校長と担任、あの時の空気感を思い出すと、つい思い出し笑いをしてしまう私なのでした。

ちなみに、それから学校には行っていない息子ですが、歴史(特に戦国時代)にハマって。自分で歴史を調べる中で、漢字はほとんど読み書きできるようになりました。学校の教科書で、学校の進路通りには勉強していないけれど。興味があることを探求していたら、自然に覚えていたようです。

「勉強はしなくてはいけないもの」というコントロール感がないので、息子は勉強が好きだし、勉強って意識もないのかも。歴史のことや。苔のことや。動物のことや。。。探究心旺盛です。

勉強って本来、そういうものかも知れませんね。。。

しかも、現代は昔と違って。ネット環境さえあれば、お金もかけずに、たいていの勉強はできてしまいます。息子もネットで算数の勉強をしていました。動画で教えてくれて、学習プリントも印刷できる。それが全て無料なんですよねー。すごい時代です。

また、息子は小学校5年生の時の担任の先生の事が大好きです。中学の担任の先生もいい先生で。学校の先生も素敵な方はたくさんいます!

たまたま小学校1年生の時、最初の校長室がインパクトあったので印象が深いだけなのです。その時の校長と担任も、愛すべき素敵な人には違いない。いろいろな出会いがあるから面白い!本当に全ての出会いに感謝です。

自分の価値観を尊重していれば、他の価値観を尊重できる。押し付けることをしなくても共存できると私は信じているのです。
そして、私が大事にしているのは。

学校に行っても行かなくても、そこは本当にどっちでもよくて。本音で付き合える友達がいて。自分の考えを持って表現でき、他の人の考えも尊重でき。問題が起こるたびに、問題解決力が育っていけば、もうそれが何よりと思っています。

ぶっちゃけ、他人に愛される人間であれば、もうそれだけで。。。だから何も心配はないんです。心配がないって信頼とも関係があると感じています。それは、またおいおい。。。

あ、誤解されるかもしれないので、補足。

強制的な勉強を否定しているわけではないし、息子と「ビリギャル」見て感動して泣きました!中3の息子は、自分から、大学に行くために高校に行こうとしていますしねー。

親の私は、本当にどっちでもいいというスタンスなだけなのです。どっちかというと、行かなくてもいいのに派・・・やっぱり問題親かもしれません(笑)
と、いうことで結論。

「学校に、行っても行かなくても。どっちにしろ困るときには困るし、困らない時は困らない! 」



この記事は問題社員の解決など人材教育コンサルティングのプラウドフォスター株式会社の代表取締役 星寿美さんのブログよりご寄稿頂いたものです。

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