国会前ラップ調シュプレヒコールとシリア難民のシュプレヒコールの切迫性

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ハンガリー国境で立ち往生しているシリア難民のシュプレヒコールのニュース映像を見た。彼らのシュプレヒコールの切迫性に比べ、SEALDs(シールズ)等のラップ調のシュプレヒコールに、どうしてもリアリティーを感じることが出来ない。
中国に侵略されたチベットの若い僧侶が、中国の圧政に抗議して、自らの体に油をかけ自らの体を燃え上がらせ、命と引き換えに自由の尊さ(中国の圧政の非人道性)を訴えている。
中国の圧政に抗議して、国外脱出を図ろうとしてタイ政府に拘束され、中国に強制送還されたウィグル族の人々の悲劇を私たちは見た。
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世界には二つの潮流がある。一つは民主主義の旗を掲げ自由を標榜している国。そしてもう一つは、一党独裁の独裁国家であり自由を制限している。このカテゴリーからすれば、アメリカは前者であり、中国は後者である。
安保法制を戦争法案と称し、反対している人々のデモのプラカードを見ると、「反米」である。アメリカの戦争に巻き込まれる、我が子を戦場に送るなという。しかし、中国の脅威を訴えるプラカードは見えない。あるのだろうか。
一方、安保法制の整備を必要と考える人々は、中国、北朝鮮の脅威に日米同盟で対抗する(抑止力を高める)立場だ。マスコミでは報道されないが、その立場の人々のデモで見られるプラカードには、中国の脅威を訴えるものが多く見られる。「反米」のプラカードは見られない。
私とて、アメリカの過去の戦争の「罪」を思うものである。今後、アメリカも反省を迫られる場面が出てくると思う。しかし、現行の政治体制は、選挙制度が成熟した民主主義国家である。この点を見落としてはならないと思う。
16日に開催された安保法制に関する地方公聴会の場で、広渡清吾専修大学教授(東京大学名誉教授・元副学長・前日本学術会議会長)は、日本政府を「反民主主義」「反平和主義」「反立憲主義」「反知性主義」と断じた。
これは、日本政府にではなく、中国政府に向けて発する言葉ではないのか。そもそも安倍政権が、正面突破としての憲法改正を回避して、解釈変更という迂回戦略でいこうとした事が元凶となっていることは確かである。
しかし、日本を守るために、アジアの平和を保つために今何をなすべきか?を優先して考えるとき、安保法制の整備が必要と考える。
 
安保法制賛成の立場は「反中国」(中国の軍事的脅威に対する警戒)すなわち「反ファシズム」安保法制反対の立場は「反米」すなわち「反自由主義」この二つの視点から、日本の未来を考えることもできよう。


kanou
この記事は幸福実現党岐阜県本部副代表・政調会長加納有輝彦さんのブログ「一憂国者の紙つぶて」よりご寄稿頂いたものです。

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